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先週は少し暑い日も続きましたが、朝晩と冷え込むようになりましたね。

この寒さが感じられるといよいよ受験シーズン到来という実感がわいてきます。
11月には日大統一試験、大学推薦試験など、本格的に試験が始まり、年明けにセンター試験です。

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受験に向けて教室のプリントを整理していたら、数年前に五島先生が受験生たちのために切り抜いた新聞記事が出てきました。桜美林大教授(数学)芳沢光雄氏による 私の視点(朝日新聞)「マークシート プロセス軽視の安易な評価」です。

「(抜粋)正しく推論しなくても正解を見つけられる方法がいくつもあるという本質的な欠陥から、ものごとのプロセスを軽視して「答えさえ正しく当たっていればよい」といった風潮が、広く浸透している感がある。」

と、マークシート方式のテストの弱点を挙げ、日本の大学入試制度を考え直すべきだと主張しています。(余談ですが、芳沢先生の在籍する大学では、新年度の試験から理系の学部で数学のマークシート方式を廃止し、記述式を採用するというニュースを見つけました。)


今年の受験生たちにもこの記事を読ませました。世界の大学入試は日本とどう違うか、教育者の間でどのような議論があるのかを知り、自分たちが戦おうとしている試験を考えることができました。

たとえマーク試験であろうとも、「答えさえでればいい」という姿勢は青樹会の教室では許されません。「なぜ」ときかれない日はありません。正しく考える過程を、日々鍛えていきます。その上で、試験で点数を取るための戦略を一緒に考えます。


これからが本番です。先生たちも、生徒と共に頑張ります。
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2013.10.14 Mon l 青樹会の教育方針 l コメント (0) トラックバック (0) l top
青樹会は、どのような英語を教えている場所なのか?
 
青樹会の英語の特徴をお伝えするために、私の大学時代のエピソードを紹介します。

大学の「英文法」の授業でのことです。オーストラリアの研究者が執筆した文法書(研究書)が教科書でした。その授業で、私は初めて、青樹会の授業のレベルの高さ、青樹会で英語の本質から教えを受けていた事実に気がつきました。(私は高2の9月に青樹会の英語に出会っています。)その研究書の内容に、私にとって新しいことは一つもなく、
すべて青樹会の授業で学んで知っていることだったからです。

なので、テストでわからないことは一つもなく、
私はクラスで唯一、100点満点をとりました。
85点以上は私一人、80点以上の人もほとんどいないテストでした。

青樹会を卒業し、大学に入学した生徒たちからは「英語のクラス分けテストで、一番上のクラスになった。」「帰国子女ばかりのクラスに入ってしまった。」「大学の英語の授業は簡単すぎる、青樹会のテキストはすごくレベルが高かったと気づいた」という話をよく聞きます。
うん、とってもよくわかる話です。

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 多くの高校生が考えている、「英語の勉強」とは何でしょうか?
 「英語を勉強しよう」と思って、机に向かってすることは何でしょうか?
一番簡単な解決策は、単語を覚える、ワークをひたすら解く、ということのようにみえます。

誤解を恐れずに言えば、青樹会では 単語の丸暗記 は意味がないと考えています。
ワークやドリルを単に繰り返すだけの勉強にも反対です。

確かに、英単語が頭に入っていなければ読めません。
現に、高校生の単語量のなさには、驚くこともたくさんあります。
でも、青樹会に来て学び始めた生徒たちは、本当の文法力(文法を使って考えていく力)を身につけていく中で、
「英語を読むためには もっと単語量が必要、自分にはかなり欠けている」
という必要性の認識を持つようになります。それがまずは必要な一歩です。

その認識がないと、英語の勉強 は 単語を覚えること とはき違えてしまいます。
単語を覚えれば何とかなる、と躍起になって英単語を覚えては、忘れ、しかも使えない、という悪循環になる、または、必要性がわからないから覚えようともしない、意味が分からないから覚えることはできない、というケースもたくさんあります。

英語がわかるようになりたい、できるようになりたいと思っている人たちに、私は青樹会で、楽しい英語、考える英語、わかる英語を体験してみてほしいなと思います。もちろん、英語が大好き、もっとレベルアップしたい、という人も。

青樹会の先生は、高いレベルで英語を体系的に理解していて、それを生徒たちに伝授することができます。

英語は暗記科目ではありません。文法も「暗記するもの」ではないのです。

自ら考える力、英語の底力のようなものを身につけられるのが、青樹会の英語です。

(MASAMI)
2011.10.03 Mon l 青樹会の教育方針 l コメント (0) トラックバック (0) l top
師曰く、

「英語がペラペラに話せても、「何を」の内容がなければ意味がないでしょう。
 教養を積みなさい。自分自身を広げなさい。」


私は高校生の時、先生にこの言葉をいただきました。
確かに今、話す内容をもっていなければ、
そして、言葉を発する基盤としての教養をもっていなければ、
英語が話せることに何の意味もない と痛感しています。

この「教養」の中に、近現代史が含まれます。
今の世界を作っている基になった大きな出来事です。

学校の歴史の授業で「独立戦争」「植民地政策」など、誰もが学びます。

でも多くの人にとって、これらは紙の上の厄介な暗記せねばならない科目でしかないようです。


歴史は、 特に近現代史は今とは無関係の過去の出来事ではなく、
現在の西洋文化を、世界をつくっている大きな土台であることとして認識してゆく必要があるでしょう。


ということで、
今日は「オーストラリアの歴史(1786~1901)」をご紹介します。

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次の四枚の絵は、
アートのやすたけ先生が描いて下さった「オーストラリアの植民地政策」を視覚化したものです。
オーストラリア百年の歴史をイラストレーションにしたものです。

この赤はアボリジナル、この緑はイギリスの入植者の人口です。
この色の面積比はそのままアボリジナルとイギリス人の人口比を表している、というように読み取れます。


1786年~1810年
オーストラリアの歴史1

イギリス人で、オーストラリアの大陸に初めて寄港したのがキャプテン・クックです。(1767年)

イギリス国王は1786年ここに 「流刑植民地」 を建設することを命じます。
つまり、島流しの刑 としてイギリスから囚人を送り始めたのです。

このとき、アメリカはイギリスから独立し、イギリスが経済的に大きな打撃を受けていました。
(イギリスとアメリカは戦争の末、1776年に「アメリカ合衆国」が誕生しました。) 

イギリス国内で流刑判決を受けた囚人は、それまで労働者としてアメリカに送られていました。
しかし、アメリカが独立したためその代替地が必要となります。

1786年1月26日、イギリス船(約750人の囚人を含む1000人)がオーストラリアに到着し、流刑を開始ます。

この囚人たちが、新大陸に文明の物質的な基礎を築く重要な労働力となりました。
そう、家を建て、橋を架け、設備を整えるためには、人の労働が必要なのです。

1805年(25年後)には、イギリス人の総人口は約7000人になり、
穀物の自給に成功し、ヨーロッパから持ち込まれた羊の数も約2万頭に達します。

オーストラリアといえば羊ですが、そもそもヨーロッパから持ち込まれた動物なのです。

1810年~1850年
オーストラリアの歴史2

1810年から15年にかけて植民地の人口は倍増します。

囚人労働力を利用して多くの公共建築物をつくり、都市の基盤整備を進めていきました。
しかし、オーストラリアに 文明の物質的基盤が整っていくと、
オーストラリアの流刑植民地としての役割転換の時がやってきます。

1820年代後半から、オーストラリアは流刑植民地ではなく
英領植民地としての地位を得ることになります。

31年から50年の間、イギリス政府から渡航資金援助を受ける補助移民が、囚人にかわって移民の最大集団になります。


1850年~1875年
オーストラリアの歴史3

1851年、ゴールドラッシュの開始です。
オーストラリアで莫大な量の金が発見されたのです。
50年代から70年代の間、羊毛をしのぎ金がオーストラリアの最大輸出品目となります。

ゴールドラッシュで、51年以降、オーストラリア内各地から、そして世界中(アメリカ、西欧諸国、中国)から金鉱地に人々が殺到してきました。

ヴィクトリアでは8万人の人口が50万人に、
ニューサウスウェールズでは19万人が35万人に急増しました。

また、金鉱地ばかりでなく、オーストラリア大陸内の他の植民地も経済成長をしていきます。
同時に、オーストラリアの政治の上にも変化を及ぼし、オーストラリアの中にアメリカと同様、自治独立への意識が芽生えはじめるのです。

左上に描かれているのがイギリスです。
1851年には世界初の万博が開かれました。
産業革命真っ只中のイギリスは、これまでにない経済発展を経験していたのです。


1875年~1901年
オーストラリアの歴史4

1800年代後半から1900年にかけて、オーストラリアの経済成長は続いていきます。
その成長の象徴といえるのが鉄道です。

1860年に総延長500キロ程度であった鉄道は、世紀末までに1万7000キロに達します。

現在主要都市にあるタウンホールや郵便局、教会、博物館などは、
ほとんどすべてがこの時代に建てられたものです。

電信線も設置され通信が一日で可能になり、オーストラリア大陸内の時間も統一されます。
1870年代から、無償の初等義務教育が導入されはじめます。

こうして、オーストラリアは名実共に文明国の仲間入りをし、1901年には連邦が成立します。


  私たちが知る現在の「オーストラリア」の基礎は、この100年間に作られたのです。


<最後に>
このような「発展」の裏に、悲しい事実があることを忘れてはなりません。

1枚めと4枚めを比べてみてください。赤い大陸であったものが緑の大陸にかわっています。わずか100年で、4万年もの間この大陸の主人であった一種族が、ほぼ絶滅寸前になってしまったのです。

それは、無制限に移入してきた人や動物がもたらしたものです。免疫のないアボリジナルは、天然痘や麻疹で次々と死んで行きました。また、入植者たちの中には、カンガルー撃ちと同様にアボリジナルを狩猟というスポーツの対象にした者さえいました。

このように、「植民地政策」には、もう一つの悲しい事実があるのです。


*****
オーストラリアだけではなく、アメリカやカナダ、アフリカ大陸の国々など、多くの地が「植民地」の歴史を持っています。

こういった知識は
「世界史とってないから」「受験にないから」
という言い訳がきかない重要な認識です。


世界のスタンダードとしての教養をもつこと、青樹会ではその部分を大切に考えています。

(MASAMI)
2011.07.22 Fri l 青樹会の教育方針 l コメント (0) トラックバック (0) l top

青樹会の授業の特徴は、「なぜ?」「それってどういうこと?」という問いがあることです。

問題を解いて答え合わせをするだけなら、塾へ行かなくても、自分でできます。

正しい答えがでればそれでいい、というのではなくて、なぜそれが答えと言えるのか、どういう道筋で考えたのか、教室では「考えた過程」を求められます。

そのような学びを繰り返すことで、3か月、半年、3年経って初めて、自分が身につけてきた力が形になってきます。近道や裏技はありません。

教科を通じて、本気で学びたい人を待っています。
(Masami先生より)



~青樹会の英語 教育方針~
青樹会の教育方針はたった一つ。ゴールは大学入試ではありません。大学はもちろん、社会人となってからも生きた英語が使える力を高校時代に養うことが目標です。

英語で論文やレポートを書く、会社ではTOEIC(大きな企業が採用している国際的な英語能力試験990点満点)で、600点以上をとれる、このような英語力の基本は高校英語です。ですから、高校の英語を失敗すると、就職や大学院入試などに影響しかねません。

読む・聴く・話す、そしてこれに必要な文化的教養をトータルに教えていくのが青樹会の英語といえます。その結果、卒業生に多くの留学生が出ています。TOEICの試験では毎年800点以上をとるOBが多数います。

留学し、そのまま海外で活躍する卒業生からはE-Mailが多く寄せられ、なまの海外を後輩たちに伝えてくれます。また、教える先生たちも海外で仕事をした経験を持ち、さらに翻訳、通訳など英語のあらゆる面で経験豊富といえます。

このように海外とじかにつながる形での英語教育は他の追随を許しません。さらにこの英語力は大学入試においても効果的であることは過去の実績からも明らかです。高校英語を自分のものにしましょう。そして英語の使える大学生、そして社会人になりませんか?


2011.03.07 Mon l 青樹会の教育方針 l コメント (0) トラックバック (0) l top